モノの見方

どうも、門楼路傍 樫園 です。 

ちゃんとしたモノの見方を身に着けているかどうか?は、研究開発でコンスタントに成果を上げられるかどうか?に大きく関係します。

まず、『いつも様々なことに問題意識を持ち、それを課題に変換できる』こと。

問題を解決するための道標が課題です。問題視や批判だけして解決策が出せない人にはこの視点が圧倒的に欠けています。

過去の経験や知識だけで答えが出るような問題にしか対応できないのは、受験勉強の弊害なのかもしれません。受験やその準備では、答えがある問題しか提供されませんから。

次に、課題をワンフレーズになるまでブレークダウンすること。

人間の理解できる範囲というのは限界があり、複雑で難しい課題に真っ向から取り組むのは格好いいなんてのは自己陶酔ですね。そういう人の振りかざす小難しい理論や理屈・・・何を言っているのか分からなくないですか?

とにかく、いろんな距離や角度からながめ回し、叩いて分解してみなければ、解決の糸口は掴めません。しかも、課題は言語化して共有できないと、他者と協力して解決に取り組むことはできません。『三人寄れば文殊の知恵』も、課題の共有化なしには成り立たないでしょう。

さらに、失敗やちょっとした違和感を無視しないこと。

失敗には必ず理由があるはずです。明らかな凡ミスで失敗したとしても、それは凡ミスを防ぐ仕組みがなかったということで、そこには立派な課題があります。なぜ失敗したのか?それを考えずに何度も失敗を繰り返すのは、誰が見ても愚かな行為ですね。

ちょっとした違和感・・・これを得るには経験を積むことが必要ですが、失敗を未然に防いだり、何かのヒントを得るのには重要な感覚ですね。『あなたの言うとおりにやったのに』とか『マニュアル通りにやったのに』なんて言い訳をよく聞きますが、研究開発の現場に100%成功する保障なんてありません。100%成功するのは作業です。つまり、テクニシャンのレベル。

最後に、他人のやっていることを見ながら、それを自分に置き換えてみること。

自分の頭や体は一つしかありませんが、周囲には多くの人がいて、試行錯誤を繰り返しているはずです。それを有効活用しないのは勿体ない・・・

料理人の世界では、『何も教えてもらえないので見て覚えた』なんて話がいっぱいありますが、まさにそれ・・・手取り足取りでは創意工夫が生まれないですからね。先人は良く分かっていたのだと思います。

特に後半の2つは今の若い人たちからすると、理不尽に思うかもしれません。なるだけ失敗せずに確実に成果を上げたい・・・それは分かりますが、自分をスポイルしてその代償を払うのは自分で、他人ではありません。そこをお忘れなく。

 

 

ズルいと言われるが・・・

どうも、門楼路傍 樫園 です。 

先のブログにも書きましたが、新しい方法や考え方をコンスタントに生み出してると、『あいつばかりズルい』とか『インチキやってんじゃないの?』なんて陰口をたたかれるのは当たり前、時には堂々とクレームしに来るヤツまでいます。

当たり前の話ですが、創意工夫や発想は自由で、誰も助けてくれません。そこが分かってない・・・

『こうやったら新しいものが見つかるよー』なんて導いて貰えることを期待しているとして、そもそも『新しいものを見つける方法』を考え出すこと自体は新規ですが、そのお膳立てにのって見つけたものは派生物に過ぎません。

だから、食い尽くしたら終わりで、自分で狩りにいけない、畑を耕せない。原始時代だったら飢え死にですね。ふと思ったのですが、だから太古に『支配して奪う』というやり方が生まれたのかもしれません。

だとすると、『奪っちゃえ』というのは生存本能から来る根深い問題なんでしょうね。人間の業。

話は戻って、仮に三顧の礼をもって創意工夫や発想のコツを聞かれたとして、私が言えるのは『広く見聞きして、考え抜いて、大怪我しない程度にやってコケてみる』だけです。

まず『広く見聞きする』。『いますぐ役に立つ』もしくは『将来役に立つかもしれない』情報を集めることを、まるで毎日歯を磨くのと同じようにやってますか?誤解のないように言うと『いますぐ役に立つ』イコール『答え』ではありません。

この、知識とはいいがたい情報の塊を燃料にして、『考える』のではなく『考え抜く』のです。両者の違いは、小さくてもいいから結論まで到達できるかどうか否か?ですね。だから、何らかの課題意識を持つことも必要です。

で、必ず試してみること。失敗から学ぶことは非常に多く、だから『大怪我しない程度にやってコケてみる』のが大事なんです。99%は失敗ですから。

自分は優秀だとか頭が良いと思っている人ほど、失敗を極端に嫌がります。だから経験値が上がらないんです。『この考え方は間違いだった』とか『こうやると失敗する』・・・これは立派な結論なんですが、プライドが邪魔するんでしょうね。やっても闇に葬り去る。

だから、同じところをぐるぐる回って這い出せないんですよ。当たり前の話です。

寄生虫は宿主がいないと生きていけない

どうも、門楼路傍 樫園 です。 

一生懸命努力や工夫をしてやっと形になったら、どんどん相乗りしてきたり、脇からシュッと取り上げたり、堂々と真似をして自分の成果だと主張したりする奴がいます。場合によっては上司がそれを指示したり、黙認したり・・・たまったものではありません。

それに嫌気がさして隠れてやるようにすると、今度は『独り占めだ』とか『ずるい』とかといった攻撃が始まり、騒ぎ立てるんですよね。訴えを真に受けた上司からは、『会社の仕事なので皆でやりなさい』とか『きみばかりいい思いをするもんじゃない』なんて言われ、成果をあげたのに褒められもせず、逆に怒られる。

そのような輩に嫌な思いをさせられた人はいませんか?私は最初は悔しくて悔しくて・・・憤慨したりへこんだりしてました。

いい大学を出た連中ほど、ずるい真似をするのが多いように思います。『あいつより自分のほうが有能だ』という妙なプライドが、『あんなやつより自分のほうが上手くやれるので奪うのは当然』という風に頭の中で変換されてるのかもしれません。アホの理屈はわかりませんが・・・

ただ、寄生虫は宿主がいないと生きていけません。

私は、コンスタントに成果を上げる経験や自信がついたころから、いっそのこと『くれてやる』のも面白いと思うようになりました。本当に『全てを明け渡して、一切手を引く』のです。変な例えですが、ゲゲゲの鬼太郎が吸血鬼と対決した時に全身の血を吸わせ、動けなくしてからやっつけたように・・・

奪った方はそれを知らず、勝ち誇ったように私の存在を消し去りにかかります。

考え抜いて生み出したものは、その人にしか分からないツボがあり、落とし穴もあります。それを外から理解するのは容易ではありません。意気揚々と始めても、そのうち壁にぶつかって成果が出なくなります。

そして、プライドが邪魔するので教えを乞うこともなく、プロジェクトをぐちゃぐちゃにして終わるか、はたまた迷走を続けるか・・・

その頃には、私は全く別のプロジェクトを立ち上げ、『それは困りましたね』と他人事のように言うだけ。心の底では『ざまーみろ』。

宿主は生かしておかないと寄生はできないという、生物界の大前提が理解できていないんですよね。私がこれまで出会ったそのような人の中に、寄生虫に勝るような人はいませんでした。生かさず殺さずアイデアを吸い続けられてたら、今の私は無かったと思います。ほんとに。

 

イノベーションって何?

どうも、門楼路傍 樫園 です。 

イノベーションという言葉さえ使えば、何か新しい事や物が生まれるような、そんな安易な考えでいる連中が私は大嫌いです。

そこらへんに転がっているような情報をかき集め、都合の良いように切り貼りしてイノベーションって、おつむ大丈夫?って思ってしまいます。偏差値の高い大学を出た人ですらというか、実はいい大学の出身者ほどその傾向が強いかと。

連中はね、とにかく早く答えを出したいんですよ。受験勉強でテスト漬けだったことの弊害でしょうね。で、評価するほうもすぐに採点できるものしか評価しない。そのアホサイクルをどんどん回して、お互い仕事している気になっているので、外から口を挟むとめちゃくちゃ攻撃されます。頭の良いボクちゃんたちの邪魔をするなと。

評価できないものの中にこそ、私たちが知らなかった原石があるのに、そこを見ないでどうするのでしょう?

自分たちは頭が良いので、思ったような結果が出ないのはおかしいと言いながらこねくり回し、結局は事実を捻じ曲げて当てはめるので、どこかで必ず破綻します。それに対して『頑張ったで賞』みたいな変な評価を与え、同じことを延々と繰り返させる・・・経営資源の無駄遣いの極みです。

やらせる方もやらせる方で、『何か新しいものを出せ!』的な、無責任な指示を出すだけで丸投げ・・・そんな実情を株主が知ったら怒りますよ。でも、そこは海千山千の経営者なので、上手く誤魔化す。そんな構図になってませんか?

イノベーションセレンディピティでもない限り、苦しみのたうち回るか、コツコツと種を蒔き続けるか、普通はそうでもしない限り生まれません。偶然の発見話を真に受け、いつかは当たると考えるのは、宝くじで生計を立てようと考えるのと同じ発想です。

不遜な言い方ですが、私はい小さいながらもいくつかのイノベーションを生み出しました。ではなぜ、こんなブログでブーブー言っているのか?その話は別の機会に置いておいて、やるべきことは2つです。1つは自分が困ること、2つ目は他人が困っていることを知ること。で、毎日目を皿のようにして解決の糸口を探る・・・天才でもない限り、これしかありません。エジソンの言う『必要は発明の母』です。

あとは目利き・・・。ジグソーパズルを解くように、とにかく情報のピースをかき集めて、ながめ回して、くっつけてみる。そのサイクルを素早く回すには、情報のピースの内容と価値を短時間で理解して、まずは頭の中で思考実験ができるか?にかかってきます。

ここまで読まれたら、『ではいったい、どの分野の何に次のイノベーションが生まれるのか?」とか、表題に『イノベーションって何?ってあるのに全然具体的じゃないか?』って思われているかもしれません。それこそが危険な発想なのです。

とにかく、『求める方向にイノベーションが生まれるように素地を作る』こと。そして、『正しい思考実験が出来る人材を集め』、『結果を正しく評価する仕組みを作る』・・・最初は思うような結果が得られなくても、次につながる何かが蓄積されるはずです。天才でない私たちがイノベーションを生み出すには、これしかないと思います。

ブログ開始のご挨拶

はじめまして、門楼路傍 樫園です。

読み方は『もんろうじぼう かしぞの』で、 『樫園(かしぞの)』で覚えていただければと思います。名前の由来は、私が住んでいた大好きな場所です。

医薬・バイオ業界で35年以上仕事をしてきて、本当にいろんな経験をさせて貰いました。研究開発の現場を離れ、管理職として現場を支え、今は関連業界で仕事をしています。

私は徒党を組むのが嫌いで、強者に媚びへつらうことをしなかったので、いわゆる派閥に属し、それを後ろ盾とする連中から辛酸を舐めさせられることが多かったです。逆に見れば、派閥から守られることが無かったので、いろんなピンチは自力で抜け出さざるを得ず、自然と自分の知識や経験を自分の武器とする術が身についたように思います。

知識や経験を積むという修行のような日々を経て、今、思うのは、古の武道家と同じように、それを『後世に残したい』『誰かに伝えたい』ということです。不遜な言い方ですが、私と同じ境地に至るには同じような時間と経験が必要で、そのような人はなかなかいないと思います。実際、アドバイスを求められる機会は年々増えています。

年齢的に引退が視野に入るようになり、これまでの経験が他の人のお役にたてればと思い、このブログを立ち上げた次第です。

アンチはどこにでもいて、私の考えが間違っているとか、不快であると思われる方もいると思います。そのような方は、どうぞこのブログを無視して下さい。

医療や医薬品業界への異業種参入の話

どうも、門楼路傍 樫園 です。

今回は、医療や医薬品業界への異業種参入について、バイオ系の研究者の視点でお話ししたいと思います。

何らかの独自技術や製品を持っていて、それをもとに異業種参入を考える企業の経営層にとって、傍目には、医療や医薬品業界は高収益で付加価値の高い、非常に魅力的な市場に映ることでしょう。

確かに、世間には『薬九層倍』という言葉があり、製品の製造原価に対する利益だけを見れば医療や医薬品業界は高収益に見えますが、ハイリスク・ハイリターンのハイリターンの部分だけを切り取ったもので、注意が必要です。

なぜなら、この業界は製品上市に至る成功率がかなり低く、そのため多くの試みを並行で走らせる必要があり、そのため、大部分の利益は過去の投資の回収や新たな投資の開始に消えているからです。また、生命科学分野の進歩や技術革新は思いのほか速く進み、最初は独自で価値の高い技術や知識であっても、その価値はどんどん低下してゆきます。

周囲がやっているので『とりあえずやってる感を出すだけ』と思っていたとしても、思った以上に時間と投資が必要で、特に企業買収や資金拠出は投資の回収に苦しむことになり、そのような例は枚挙にいとまがありません。

そもそも、『おいしい話』が自分のところにだけ転がり込んでくる筈などなく、潤沢な資金を擁して業界でプレゼンスを確立している企業、すなわちメガファーマにまず話が行き、上から順番にダメ出しを受けた後は、話に飛びつく企業が現れるまであちこちに話が持ちかけられます。そして、失敗するごとにセールストークはよく練り直され、マイナスな要素は巧妙に隠されていきます。

そのような状況を知らず、そもそも、本業で取り組む会社と対峙して『勝ち抜く』シナリオを用意しないで手を出すと、最初から負け戦になってしまいます。

各社には、新規事業開拓を担う部署があり、彼らが異業種参入の企画を練っていると思います。会社の将来の可能性を握る大事な部署なので、良い人材を配置しないといけませんが、行き場のない人材の吹き溜まりになっていませんか? そうでなくても、一般的に技術者から叩き上げの皆さんは医療や医薬品業界の専門家である訳がなく、仮にキャリア採用で雇ったとしても、異業種参入の成功体験を持っている人材は多くはいません。

それとも、安易にコンサルに丸投げしますか? 大事な将来投資の舵取りを他者に任せて大丈夫ですか?

やみくもに『何か考えろ!』や『何かやれ!』といった漠然とした指示を下し、耳障りの良いご注進にだけ耳を傾けがちな経営層の皆さん、気を付けたほうが良いですよ!また、そういう上層部に悩まされている現場の皆さん、一度、状況をよく整理して、経営層としっかり話し合う場を持ったほうが良いと思います。下手な投資が本業を圧迫したり、利益がどんどん吸い取られたりするのは、誰も幸せになりません。

ちょっと抽象的な話になってしまいました。このトピックを技術的な観点から深堀りするのは、別の機会にしたいと思います。